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■2007年11月22日(木)03:10 
「裁判官の爆笑お言葉集」なんて本が売れてるそーだが、たまに判決文などでもおもしろいものを見かけたりする。

まぁ、裁判官なんて、ずーっと遊びもせず司法試験を数年〜十数年受けてきたような連中なんで、常識がないってか、常軌を逸している連中の集まりなので、しかたないなーって面もあるんだろうけど。

今回みっけたのは、事案が特に凄い。簡単に事実と判決を紹介すると


婚姻取消請求事件
東京家庭裁判所平成18年7月26日

原告は33歳の韓国人男性。被告は52歳の日本人女性。

被告が「年齢が24歳」で「ロシアで,ロシア人の父と日本人の母との間に生まれ」,「バレーのダンサー」であったが,「14歳の時に父母とともに来日した」などと虚偽の事実を言って,原告をその旨誤信させて,婚姻意思を決定させたとして婚姻の取消を求めた。


この時点で事案が尋常じゃない。
どうやったらだまされるんだと小一時間。

しかも、判決理由中にある事実では、
「原告と被告は,平成17年2月2日婚姻届出をし,同月12日披露宴を行った後,翌13日ないし18日に新婚旅行に行った。」
しかし,平成17年2月19日に原被告間に争いがあり,原告は被告自宅を出て,以降別居している」

って成田離婚状態。おそらく、新婚旅行中に年がバレたんやね(ノ▽`)


更に原告の提出した証拠や主張に対しての裁判官の判断ですが、

原告は,被告から,被告はロシア生まれでロシアから帰国した際に戸籍がなかったため,裁判官である祖父に依頼して他人の戸籍を流用したもので,戸籍上の生年月日は真実のものでないと言われて,そう信じていたと供述する。しかし,いかに原告が外国人であるといっても,約6年以上も日本に滞在しており,日本社会において,そのようなことが不可能であることは理解できたはずではないかとも考えられよう。しかし,原告の言動からは,そのように信じこんでいたことが窺え,この点はそのように信じた原告が愚かというべきであるが,結婚に至るような熱愛中の男女の仲であれば,冷静な判断ができないこともあり得るところであり,かかる事情から,原告が被告の年齢を知っていたということもできないと思われる。

被告の外見等について
 原告は,被告の外見は若く一見して50代には見えないと主張する。人の外見から実年齢を判断することは必ずしも容易ではないが,たしかに写真(乙3ないし5)に写った被告の服装や容貌からは一見して50代には見えないかもしれない。また,被告のメール内容も,(^o^)などの顔文字や★,★などの記号を多用しており,その書きっぷりからは,50代の女性のものとは思えないかもしれない。
 しかし,そうはいっても,遠目ならともかく,原告は,被告と結婚するまでに約9か月の親密な交際期間があって,何度も肌を接していることが認められ,原告には過去に交際した女性も何人かいること(以上,原告本人)にも照らして,仮に50代には見えないとしても20代であることに疑いを持つことはなかったのか問題である。しかし,原告の供述によれば,被告と初めて関係を持ったときに出血があったことから若い女性であると信じたとするが,そうしたことから,原告が被告の年齢に疑問を持たなかったとしてもさほど不自然とまではいえない。

なんて判断しちゃってます。
ホントに不自然じゃないのか?どうよ。

最後に、裁判官の結論では

女性の心理として多少なりとも若く見せたいことは十分理解できることであり,多少真実の年齢と差があってもそれだけでは婚姻取消を認めるわけにはいかないと思われるが,52と24では大変な違いであり,婚姻後の生活設計も土台から異なってくるような違いである。

先に述べたように,自己の年齢を偽ることは,女性の心理として理解できなくはないが,20以上も違うのではあまりにも鯖の読み過ぎであり,詐欺行為の違法性は決して低くはない。

とおっしゃっています。

20以上も違うのではあまりにも「鯖の読み過ぎ」であり って判決理由中に書かなくても良いのにねぇ。



鯖の読み過ぎには気をつけよう(^o^)。
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■2006年09月07日(木)  裁判員制度
うちの大学の事務の入り口にも大量にパンフレットがおいてありました。
最近話題にすら上らない裁判員制度。ホントに始まるの?と疑問があるヒトも居るでしょうが、奴等はやる気です。


「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が裁判員制度を定めており、その中に

「公布の日から起算して五年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。」
とあるため、公布(2004年5月28日)より5年以内の2009年5月までには裁判員制度がスタートすることになるわけですね。


先日のホリエモン裁判はこの裁判員制度を睨んでのスピード裁判になっているわけですが、裁判員が長く裁判に拘束されないよう、1回目公判から判決に至るまで、そのスピードは今までの裁判とは比べ物にならないといった感じです。


法律の名称からわかるように、裁判員制度が使われるのは「刑事事件」だけです。
しかも、同法2条1項には

一 死刑又は無期の懲役若しくは禁錮に当たる罪に係る事件
二 裁判所法第二十六条第二項第二号に掲げる事件であって、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪に係るもの(前号に該当するものを除く。)

とあり、基本的に刑事でも人の生死に関わるような裁判に限定されるようです。


裁判員は選挙人名簿から抽選(くじ)で毎年裁判員候補(裁判員名簿に載せる)を選び、更に各事件ごとに裁判員名簿からくじで選ぶ。なので、誰でもなる可能性があるということです。

だた、選ばれる確率は地方(地裁管轄区毎なので、各都道府県ごとです)によって異なるようで、最高裁試算によると、大阪では約400人に1人、秋田では約2410人に1人とかなり違いが出る。


各事件への裁判員としての呼び出しがくると、弁護士、検事により更に人数を絞るために色々質問され、裁判員を除外する人を選びます。

裁判員辞退理由として、端に仕事が忙しいなどの理由では辞退させてもらえないため、この振り分けのときに、質問に真面目に答えないことである意味辞退という人もでてくるでしょう。実際にアメリカの陪審員の選び方も同様なので、ほとんどの人が適当に答え、陪審員にならないようにしているようです。



選ばれた場合、裁判員には何ができるのかというと、
(裁判官及び裁判員の権限)
6条1項
一 事実の認定
二 法令の適用
三 刑の量定
2項 前項に規定する場合において、次に掲げる裁判所の判断は、構成裁判官の合議による。
一 法令の解釈に係る判断
二 訴訟手続に関する判断(少年法第五十五条の決定を除く。)
三 その他裁判員の関与する判断以外の判断

とあり、裁判員は事実認定、法令適用、量刑につき判断することになります。

事実認定は、証拠を基に、例えば殺人事件なら容疑者が実際に被害者を刺したことは間違いないという点の判断です。
法令解釈は含まないので、例えば放火罪にいう、「焼損」とは、一体どんな状態をいうのかとか、一般的に言われるところの共犯(学問上は共同正犯)とするには、どういった事実がないと共犯といえないか(共謀、共同実行行為etc)という判断をする必要は無いということでしょう。

つまり、裁判員は事実認定を行って、職業裁判官がこういう事実があればこの罪が成立しますよと言った物に当てはまるかを考え、当てはまったならどれくらいの量刑が良いのかの判断をする、というものでしょう。


アメリカの陪審制とは、事実認定から有罪無罪の判断まで、職業裁判官も裁判員と話合って判決を下すという点が異なります。(陪審制では、有罪無罪の判断まで陪審員が行い、裁判官は量刑のみ定めます。裁判官が陪審員との意思疎通を持つことは許されていません。のはず・・)


選ばれる確率は低いので、制度が始まったときにニュースになるくらいでしょう。
暫くすれば、そんな制度があったのかくらいの世の風潮になるんでしょうね。


法律の良くわからない市民を裁判に参加させるのは無理がある、と言われているものの、事実認定と量刑判断だけをさせることにより、法律を知らなくても何とかなるものだと思います。裁判員制度のコンセプトが「市民の目レベルでの判断」という点であることから、このシステムはそれなりにまぁ、よくやっているなと思いますよ。


ただ、量刑まで裁判員に判断させるのはどうかなとも思います。

もともと、刑法は「みせしめ」という部分が否定できないものです。
人を殺したら捕まってあんなに長く刑務所(監獄法の改正により、刑務所じゃなく刑事施設と名称が変わりました。)に入れられるとか、死刑になるということがあるので、犯罪が抑止させる、という考えの基、刑法は成り立っています。(学問上、一般予防って言われるやつです。この辺は、決定論、非決定論などが絡む問題なんで、一般予防に重きを置くのが正しいのかは意見が分かれるでしょうが。)

ということは、どれくらい刑務所に入れておくのが良いかの判断は、市民ではなくて店閉める側の国(司法)が決定すべきではないのかと。


話がそれましたね。難しい話は機会があればということにしましょう。


なにはともあれ、裁判員制度はそのうちはじまります。
最高裁のホームページなどに、裁判員制度の概要があったりするので、ホントに興味がある人は見てみると良いでしょう。
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  • natu(2006/09/07 03:54)
    陪審員の映画は「12人の怒れる男たち」という映画みるといいよ
  • vivo(2006/09/25 01:23)
    12人の優しい日本人の元作のやつですよね?見たことは無いですが、時間があれば探してみようかな。12人のやさしい日本人の逆のようなやつでしたよねぇ。因みに日本にも昭和初期に陪審制が導入されていました。現在も法律はあるものの、戦争の為に施行された「陪審法ノ停止ニ関スル法律」によって未だにその効力が停止されています。
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■2006年06月25日(日)  原因において自由な行為
オオム裁判や最近多い少年犯罪でしばし出てくる「責任能力」。

刑法には

(心神喪失及び心神耗弱)
第三十九条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

とあり、これが責任無能力者を罰しない法律上の根拠です。


何故、責任能力がない人間は罰しないか?

刑法は人に(たとえば、殺人罪ならば)「人を殺すな」と人を殺すことを禁止しているものと考えます。
そして、その禁止している事項に対して、禁止を乗り越えてしまった行為(この場合、人を殺す行為)に対して、非難を加えれるから人を罰しえると考えるわけです。責任能力が無い人には、この非難を加えることができないから罪を問えないというわけです。


責任能力の話ではないですが、「人を殺すな」という規範はそれを認識している人にのみ言うことができます。
よって、森で狩猟をしている人が、木の陰に人が居るのを熊と思い込み、人を射殺してしまった時に、殺人罪を適用できません。なせなら、狩猟をしていた人は、人を撃つのではなく熊を撃つつもりだったわけで、「熊を撃つ」認識しかない狩人に対して「人を殺すな」と言ったところで、狩人にしてみたら「人を殺しちゃいけないことはわかってる。でも、あれは熊だ。人じゃない。」ということになるからです。(但し、熊ではなく人かも知れないと注意するべきであったということで過失致死には問われるでしょうが)


さて、話を戻して、責任能力。
責任能力の判断は科学的なものではないです。
その判断は裁判官に任されており、精神鑑定で例え「心神喪失」だとされても他の証拠から裁判官が責任能力ありと考えれば責任能力ありなのです。よって、裁判における「責任能力」は法律的判断とされています。


とはいえ、犯罪時に責任能力無しならば罪に問えないわけで、そうすると困ったことが出てくるわけです。


例えば、酒を飲んで酔って心神喪失状態になり、その勢いで人を殺した場合。
厳密に言えば、犯行時に責任能力が無いわけで、無罪にしなければならないはずです。

そこで、これを解決するために「原因において自由な行為」の理論があるわけです。


「原因において自由な行為」とは、犯罪を犯す故意を持って、心神喪失に陥る原因(原因行為)を自分の自由意志によって作出し、その状態をかりて犯罪を犯した場合、犯罪行為時に心神喪失状態であれ、責任を問うことができるとする理論です。

人を殺そうと酒を飲んで、酩酊状態になり殺害をした場合、この「原因において自由な行為」で責任能力を問いえるわけです。


まぁ、法律的な話ではそういうことです。


でも、世の中ではこの「原因において○○な行為」と言いたくなる事一杯あるじゃないですか。

「浜崎君はどこにいったのかね?今日もまた遅刻かっ」
となったときに、はまちゃんが釣りに行っていたのははまちゃんだからだろうと考えると「原因においてはまちゃんな行為」となるわけですよね。

「原因において部長な行為」
「原因において浜崎な行為」
「原因において小川な行為」

などなど。

某学会ではこの原因において○○な行為が使われているとかなんとか。


(因みに、人名は適当です。現実の団体個人とは何ら関係ないですよ)
(僕は行為無価値論者なので、説明が極めて行為無価値的です。刑法では「行為無価値と結果無価値という大きな2つの考え方があり、どちらの立場で説明するかによって、理由付けも違いますし、場合によっては結論も違います。とりあえず、今回の説明は判例にも即していると思いますが。)
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■2006年06月14日(水)  新司法試験
5/19〜23あたりでやっていた新司法試験の問題が(結構前から)法務省のHPに載っています。


短等式のものしかみていないですが、プレテストより軟化したとの評判のようです。
司法試験委員のとある教授が、試験後、プレテストより簡単に、基本的なものを出しましたと言っていたらしいですが、どうやらそのようです。

一般の人や、法学部生ですら、新司法試験と旧(現行)司法試験と制度的になにがちがうのかよくわからないと思うので、とりあえず説明しておくと、

新司法試験は(基本的に)法科大学院を出ないと受けられない。
卒業後、5年間の内に3回までしか受けられない。
5年の内に3回の枠を使い切ってしまったら、予備試験に合格するか、再度法科大学院にいかなければ、今後一切司法試験が受けられない。
旧試験にあった口述試験がない。
という制約が付いてきます。現行司法試験は平成23年までだそうです。
法務省にある説明図がわかり易いと思いますが。


内容的には

旧試験より軟化?
事実認定重視
試験に出題される関連法(特別法)が旧試より多くなった。
参考までに、試験用六法登載条文(試験中使える六法に載っている条文)
新司法試験
現行司法試験

プレテストを題材に「新司法試験の読み方、考え方」という題(だったと思う)でどのように新司法試験を解けばいいかというのが『法学教室』2006年4月号に載っていました。興味があれば見ておくといいかもしれません。

「法学教室」というのは、有斐閣から出ている法律雑誌です。法律関係の人なら知っているでしょうが、普通の人はまぁ知らないと思うので。内容も学生でも読める結構ポピュラーなものです。理系でいう『Newton』『Nature』みたいなものでしょうか。

そういえば、『日経サイエンス』は何故かよく読むのですが、『Newton』『Nature』は読んだことすらないです。

『Newton』と『Nature』って何か住み分けがあるのでしょうか?理系の人教えて下さい。

そもそも英語の雑誌だよね?理系の人々、よくこんなの読めるなぁと関心。
法学研究でもしない限り、欧米の法律文章を読むことはないので、その点は楽でいいですねぇ。まぁ、大審院時代の口語文の判例は読んでも理解に苦しむのですが。
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  • しましょ(2006/06/14 22:29)
    Newtonは日経サイエンスとほぼいっしょで一般向け(しかも日本語)、Natureは研究者が自分の研究結果を論文で発表する論文集(ガチガチの英語)と、法学教室と大審院時代の口語文の判例くらい違うよ。そのうち僕のところで紹介するんでよろしく。
  • ε(2006/06/15 02:03)
    ビジュアル的に綺麗で、専門外の人でもそこそこ楽しめるのが『Newton』。キーワードは竹内均(元東大教授)。ただし、『日系サイエンス』に比べて科学的な厳密さに欠くようです。セミナーで、「Newtonから引用」というとなめられてしまいます。『Nature』は、教授が論文載せてもらおうと血眼になる雑誌です。失敗すると次に権威のある『Science』への掲載に望みをつなぎます。
  • vivo(2006/06/17 00:55)
    大審院時代のは口語文じゃなくて片仮名文語体ですね。文型分野(特に法学)では論文発表は雑誌よりも各大学の紀要のほうがメインじゃないのだろうか?良く知らないですが。
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